大阪高等裁判所 昭和45年(う)1588号 判決 1972年2月09日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
<前略>
控訴趣意第一点のうち訴訟手続の法令違反および事実誤認の論旨について。
所論は、要するに、(一)原審は坂根一美の検察官に対する供述調書(謄本)を刑事訴訟法三二一条一項二号の書面として採用の上取調べているが、坂根の右検察官調書は特に信用すべき状況の下に作成されたものとはいえず、したがつて原審が右調書(謄本)を証拠として取調べたのは訴訟手続に法令の違反がある場合に該当し、しかも原判決は右調書謄本を証拠として引用しているのであるから右法令違反が判決に影響を及ぼすことは明らかである。(二)被告人および岡山貞子の検察員に対する昭和四〇年一一月八日付各供述書は取調官による一種の欺瞞と誘導とによつて作成されたものであつて供述に任意性を欠くことが明らかであり、そのような欺瞞と誘導がそのまま影響しておる状況の下で作成された被告人および岡山貞子の司法警察員に対する同年同月九日付各供述調書も同様任意になされたものでないことを疑わしめるに足るものであり、また岡山貞子の右検察官調書は取調状況に特信性を欠くものでもあるにかかわらず、原審が右各供述調書を証拠として(被告人の供述調書は刑事訴訟法三二二条一項の、岡山貞子の検察官調書は同法三二一条一項二号の、岡山貞子の司法警察員に対する供述調書は同法三二八条の各書面として)取調べたのは訴訟手続に法令の違反がある場合に該当し、かつ被告人の司法警察員に対する右供述調書は原判決が証拠として引用しており、その余の右調書は原判決に証拠として引用されていないからとはいえ自由心証の形式に影響がなかつたものといえないから右違反はいずれも原判決に影響を及ぼすことが明らかである。(三)仮りに原審が前記各供述調書を取調べたことが訴訟手続の法令違反に該当しないとしても、いずれも作成時の取調状況に徴すれば信憑性を欠くものであり、これらによつて原判示事実ことに被告人とその妻貞子との共謀所持の事実を認めることはできず、その余に右事実を認めるに足る証拠はない。しかるに原判決が右事実を肯認したのは採証法則に違反し事実を誤認したものである。というのである。
よつて記録を精査し、差戻前の第二審および差戻後の当審における事実取調の結果をも参酌して案ずるに、所論(一)についてまず、坂根一美は検察官調書において、「昭和三八年一〇月ごろ被告人方に行き被告人の妻貞子に会つて拳銃の話を持出すと貞子は『そんなら一度うちの人とも相談しておくから一ぺん拳銃を持つてきてくれ』と言つた」旨供述しているのに対し、原審証言においては、「被告人の妻貞子と会つた際、貞子は相談しとくし品物を見てからと言つていた、うちの人と相談するという話があつたかどうかは忘れた」と供述し、『誰れかと相談しとくと言つたことは間違いないか』との間に対し「あつた様に思うし、はつきりしない、なかつたと言われるとなかつた様な気がする」旨あいまいな供述をしており、したがつて右証言は警察官の面前における供述と実質的に異つた供述であるということができる。ついで証人坂根一美は原審公判廷において前記の如く記憶がはつきりしないとか忘れたとか全体としてあいまいな証言をしている反面「増田検事の取調べを受けた際述べたことは間違いない」旨を供述し、証人増田光雄も原審公判廷において「坂根を社宅で調べた、予想以上にスムーズに、一五分か二〇分で終つた」旨供述していることが認められ、これによると坂根の検察官に対する供述は原審公判廷における証言よりも信用すべき特別の情況の下になされたものと認めるのが相当である。
ところで、所論は、坂根に対する検察官の取調につき、被告人およびその妻貞子に対する増田検事の取調べぶりから推して坂根一美に対しても同様の予断、誘導、押しつけがなされた疑いがあり、坂根が同検事の誘導や押しつけに容易に迎合して供述をしたものと思われるので、坂根の右検察官証書は特に信用すべき状況の下に作成されたものとはいえないというのであるが、仮りに被告人およびその妻に対する増田検事の取調が所論の如き状況でなされたものであり、かつ記録によると坂根の検察官による取調が被告人およびその妻貞子の取調の後になされていることが明らかであるとしても、そうだからといつて直ちに同検事の取調がすべて被告人およびその妻に対すると同機であつたということはできず、あくまで個々の取調状況を検討したうえで決すべきものであり、かえつて前記認定の如き坂根の取調状況に徴すると、所論の如き事情はなかつたものというべきであり、したがつて坂根の検察官に対する供述は特に信用すべき情況の下になされたものでないとすることはできない。なお、増田検事の被告人およびその妻貞子に対する取調は、結果としては一種の欺計を用いたということにはなるのであるが、同検事が当初から相手方をことさらに欺いて自供を得ようという意図の下になされたものと認められないことは後記認定のとおりである。してみると原審が坂根の該供述調書を刑事訴訟法三二一条一項二号の書面として取調べたのは相当であつて、所論の如き訴訟手続の法令違反は認められない。右所論は理由がない。
つぎに、所論(二)について案ずるに、原審証人福島信義、同増田光雄、同加藤善久、同岡山貞子の各証言、差戻後の当審証人増田光雄、同岡山貞子の各証言、差戻後の当審における被告人の供述ならびに岡山貞子および被告人の捜査官に対する各供述調書を総合すると、所論指摘の岡山貞子および被告人の捜査官に対する昭和四〇年一一月八日付および同年同月九日付各供述調書が作成された経過、その取調状況あるいは供述内容として昭和四〇年一一月八日午前九時三十分過ごろ、増田検事は身柄拘束中の被告人が出頭したのでこれを取調べたが、被告人がその妻貞子と相談のうえ本件拳銃等を買受け所持していたとの点について被告人から自供を得るに至らなかつた。そして午前一〇時ごろ被告人の妻貞子が出頭してきたので、被告人の取調を一旦中断して被告人を仮監に下げ、妻貞子の取調を始めたが、増田検事は被告人の従前の捜査官に対する供述内容および同日の取調に対する被告人の態度からみえ、前記の如く被告人の自供こそ得るに至つていないが、被告人の態度は世間で言う顔に書いてあるという状態で自供までにもう一押しという情況で、暗黙には認めているものと判断し、妻貞子に対し「主人は相談した(本件拳銃の買受けおよび所持について)と言うているし、かばう必要はないやないが、君の方でかくしても仕方がないではないが、責任をもつものにもたしたらどうか」などと告げて説得したところ、妻貞子は主人がそういつているならと考え、被告人に相談しその指示によつて本件拳銃等を買受け所持していたことを供述したので、その旨の調書を作成して取調を終り同女を帰した。そして再び被告人を入室させて取調を始めたが、増田検事は被告人に対し「奥さんは自供している、誰れがみても奥さんが独断で買わん、参考人の供述もある、こんなことで二人とも処罰されるようなことになつてはいかんじゃないか、男らしく言つたらどうか」と説得した結果、被告人は妻貞子から相談をうけ、被告人の指示によつて妻貞子が本件拳銃等を買受け所持していたことを自供したので調書を作成し、取調を終つたのは正午過ぎないし遅くとも午後一時までであつた。そこで、増田検事はこの種事件で警察官が被疑者の自供も得られないようでは困ると考え、いわば指導と今後の検挙に備えての準備という意味で伏見警察署の福島警部補に電話で被告人および岡山貞子の再取調を指示した。かくして翌九日福島警部補は被告人および岡山貞子を取調べたが、両名は前日の増田検事に対すると同旨の供述をしたのでそれぞれ調書を作成したことが認められる。
なお、当審増田証言によれば、八日の取調の順序につき、前記認定にかかる順序と同旨の供述のほか、被告人、妻貞子、被告人の順で取調べた上さらに妻貞子、被告人の順で取調べて調書を作成した旨の供述があるのであるが、同供述は他の証拠に対比して措信し難く採用できない。
しかして、以上認定にかかる事実によると、被告人が本件拳銃等の所持について妻貞子との共犯関係を自供していないのに、増田検事は妻貞子に対し、被告人が共犯関係を自供しているように告げ、そのように錯誤に陥つた同女から被告人との共犯関係を認める供述を得、さらに被告人に対し妻が共犯関係を認めている旨を告げ、その結果前記の如き状況の下に妻の供述がなされたことを知らない被告人から妻との共犯関係を認める自供を得るに至つたことは否み難いところであつて、同検事としてはたとえ前記認定のの如くことさらに妻貞子および被告人を欺き錯誤に陥れて両者の共犯関係を認める供述を得ようという意図はなかつたとしても、結果的には岡山貞子に対しては直接に、被告人に対しては間接に偽計を用いてそれぞれ両者の共犯関係を認める供述ないし自供を獲得したことと異なるところはないものというべきである。そこで、さらに進んで、ます被告人の右検察官調書の任意性について検討するに、捜査官が被疑者を取調べるにあたり偽計を用いて被疑者を錯誤に陥れ自白を獲得するような尋問方法はこれを厳に避けるべきであることはいうまでもないところであるが、もしも偽計によつて被疑者が心理的強制を受け、その結果虚偽の自白が誘発されるおそれのある場合には、偽計によつて獲得された自白はその任意性に疑いがあるものとして証拠能力を否定すべきであり、このような自白を証拠に採用することは、刑事訴訟法三一九条一項に違反するものというべきところ、これを本件についてみると、被告人が増田検事の説得、すなわち妻が共犯関係を認めていることを前提として、被告人がこれを否認すれば結局二人共処罰されることになるかも知れないが、もし被告人がこれを認めれば被告人のみが処罰され妻は処罰を免れることがあるかも知れない旨を暗示するような内容の説得を受けたことはすでに認定したとおりであるが、被告人の差戻後の当審における供述によれば、被告人は右説得の結果、もしし自己が妻との共犯関係を否認すれば二人とも処罰されるかも知れず、そうなると家庭が崩壊しその苦痛は耐えることができない。もし自己が共犯関係を認めれば妻が処罰を免れ家庭の崩壊を食止められるかも知れないと考えた末自供するに至つたことが認められ、これによると被告人は前認定のような偽計によつて明らかに自供するか否かの意思決定および意思活動を著るしく阻害された心理状態すなわち心理強制を受けた状態にあり、虚偽の自白が誘発されるおそれがある場合に該当し、前記尋問によつて得られた被告人の検察官に対する自白は任意性に疑いがあるものといわなければならない。そればかりか、被告人の司法警察員に対する所論指摘の自白調書についても、すでに認定した如きその作成経過に徴し増田検事が福島警部補に指示した意図如何にかかわらず、明らかに増田検事の前記取調がそのまま影響した状況の下で作成されたものと認められ前同様任意性に疑いがあるものといわなければならない。
そうだとすると、被告人の司法警察員に対する前記供述調書を証拠として採用し取調べた原審の訴訟手続には法令の違反があることが明らかであるので、さらに右違反が判決に影響することが明らかであるかについて検討するに、原判決は所論指摘のとおり司法警察員に対する該供述調書(検甲第一〇号証)を事実認定の証拠として挙示していることが明らかであるから、右供述調書を除外しても原判決挙示のその余の証拠によつて原判示事実を認定することができる場合は格別として、そうでない限り右違反は判決に影響を及ぼすことが明らかな場合に該当すると解すべきところ、被告人の妻が原判示拳銃等を隠匿所持していた事実は原判決挙示の証拠によつて認めることができるのであるが、被告人がその拳銃の所持についてその妻と共謀したとの事実は、これを認めるに十分でない。もつとも、原判決挙示の司法巡査に対する被告人の供述調書(検甲第九号証)によれば被告人は司法巡査西村伸一に対し昭和四〇年一一月一日に「私は本日自宅に拳銃を隠し持つていたことで御署で被疑者として取調べを受けているが事実相違ありませんのでこの件については後刻詳しく説明致します」と供述していることが認められるのであるが、差戻前の第二審証人西村伸一の証言によれば被告人が右供述をするに至つた経緯として、西村巡査は一一月一日被告人方に押収捜索に行く前に被告人に任意同行を求めて取調べたところ、被告人は本件拳銃等の所持については身に覚えがないと否認していたが、途中同巡査は右押収捜索に赴き本件拳銃等を発見し押収し帰署後再び被告人を取調べたところ、被告人は「自分が持つていたことにしてくれ」と言つたので、そんなことは出来ないと答えたが、結局被告人が自分で持つていたと供述したのでその旨の供述を録取した事実が認められ、右調書の供述記載によつて被告人とその妻との間に共謀があつたと認めることはできない。また原判決挙示の検事に対する坂根一美の供述調書(謄本)(検甲第三号証)も被告人の共謀の点に関するものとしては同人が被告人の妻に会つて本件拳銃等の売買の交渉をした際同女が「そんなら一度うちの人とも相談しておくから一ぺん拳銃を持つて来てくれ」と言つた旨の供述記載があるのみであるから、仮りにそのような事実が認められるとしてもこれのみで右共謀関係を認めることはできない。なお、原審証人岡山貞子の供述中原判決摘記の部分についても同様共謀関係を認めるに足らないものであることはいうまでもないところである。したがつて原審の前記訴訟手続の法令違反は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて原判決はこの点において破棄を免れない。右所論は理由がある。
さらに、所論(三)について案ずるに、原判示事実中被告人の妻貞子が被告人との共謀の点を除き原判示日時、場所において原判示拳銃等を所持していたことが原判決挙示の関係証拠によつて認めうることはすでに述べたとおりであるので、被告人とその妻貞子との共謀の点について検討するに、これに関する証拠としては原判決挙示の坂根一美の検察官に対する供述調書謄本同被告人の司法巡査に対する供述調書、同被告人の司法警察員に対する昭和四〇年一一月九日付供述調書、岡山貞子の検察官に対する供述調書、被告人の検察官に対する同年同月八日付供述調書、被告人の司法警察員および検察員に対する各弁解録取書があるのであるが、以上のうち被告人の司法警察員に対する同年同月九日付供述調書および被告人の検察官に対する供述調書が任意性を欠く疑いがあり証拠能力のないものであること、被告人の司法巡査に対する供述調書が被告人の共謀の点に直接関係ないものであること、坂根の右検察官調書謄本はその内容が真実であるとしてもそれのみでは共謀の事実を認め得るものでないことはすでに述べたとおりであり、また岡山貞子の右検察官調書は原審において刑事訴訟法三二一条一項二号の書面として採用取調をされているのであるが、右供述はすでに認定したところによつて明らかなように検察官の偽計によつて錯誤に陥つた結果なされたものであり、しかもその供述がなされるに至つた経過に徴すると右供述が原審証言よりも信用すべき特別の情況の下になされたものとは認められない。してみると岡山貞子の右検察官調書は同法三二一条一項二号但書の要件を欠き証拠能力のない書面であるといわなければならず、したがつて固よりこれにより前記共謀関係を認めることはできない。つきに、被告人の司法警察員に対する弁解録取書によれば「読み聞かせていただいた犯罪事実のとおり拳銃等を私方に隠匿所持していたことは事実でありますが」との供述記載があるのであるが、右供述と逮捕状記載の被疑事実、原審証人福島信義の証言同西村伸一の証言とを対比して考察すると右供述が被告人とその妻との共謀関係を認めたものでないことは明瞭であり、さらに被告人の検察官に対する弁解録取書によれば「事実(送致書記載載の)はそのとおりで家内に家内に言いつけておいた事情は警察で申したとおりです」との供述記載が認められるけれども、これのみでは事実が如何なる内容のものであるか、また家内に何を言いつけておいたのか全く不明でありこれによつて右共謀の事実を認めることはできないのはもちろんである。(もともと被告人の右各弁解録取書は差戻前の第二審において弁護人が捜査の経過を明確にするために申請したものであつて直ちに犯罪事実の証拠となしえない性質のものでもある。)以上検討したところにより明らかな如く前記いずれの証拠によつても被告人とその妻との共謀関係を認めることはできず、他に右事実を認めるに足る証拠はない。そうすると被告人とその妻との間に本件拳銃等の所持について共謀の事実を認めた原判決には事実の誤認があり破棄を免れない。右所論も理由がある。
よつて、その余の論旨に対する判断を省略して刑事訴訟法三九七条一項、三七九条、三八二条により原判決を破棄した上、同法四〇〇条但書により当裁判所において直ちに判決することとする。
本件公訴事実の要旨は、「被告人は、法定の除外事由がないのに、妻貞子と共謀の上、昭和三八年一〇月ごろから昭和四〇年一一月一日ごろまでの間、被告人肩書住居において拳銃一挺および実包三発を所持したものである。」というのであるが、すでに所論(三)に対する判断で述べた如く、被告人の妻貞子が右拳銃等を所持していた事実はともかくとして被告人が右所持について妻貞子と共謀したとの事実はこれを認めるに足る証拠がなく、結局本件公訴事実は犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法四〇四条、三三六条により被告人に対し無罪の言渡をすることとし、主文のとおり判決する。
(瓦谷末雄 原清 松井薫)